兵火で焼失って?
四国お遍路の解説本を読んでいると、よく『天正の兵火』で焼失、後に再建された・・・という下りがあります.戦にお寺さんが何の関係があったのでしょう?
なんとなくですが、先の戦争、太平洋戦争の空襲で燃えたらなら、国と国の戦いなので仕方がない気がするのですが.
しかし、藩、今の県レベルの戦いで、大事な文化財を燃やしちゃいけないような・・・?
当時は文化を壊す=征服ということだったのでしょうか?
もしくは文化や伝統という概念がなかったのか?
天正の兵火(てんしょうのへいか)とは
長宗我部元親が四国全土を統一する過程で、数々の四国霊場を焼き討ちにしたというのが『天正の兵火』です.織田信長が比叡山延暦寺を焼き払うように指示した『延暦寺焼き討ち』が有名ですが、当時の武将は抵抗勢力である『宗教』との戦いというのも大事だったようです.
被害を受けた霊場
阿波霊場(徳島県):23寺中 13寺
伊予霊場(愛媛県):26寺中 4寺
讃岐霊場(香川県):23寺中 11寺
寺院は庶民の心の拠り所になるという役目だではなく、経済や軍事の拠点にもなっていたようで、今では考えられないような力を持っていたようです.地域を統治したい武将にとっては重要な攻撃拠点になっていたのですね.