四国お遍路を周っていると
神社と隣接しているお寺さんが良く見かけます
なぜなのでしょうか?古くは『神仏習合』という考えの元、同じ境内に神社とお寺が一緒にあることは普通だったようです.
ところが、明治の新政府が『神仏分離令』を発しました.
政教分離ちゃうんかい!と突っ込みたくなるところですが、まさしく、国が宗教を政治利用するため、神道国教化を進めるための下準備だったと思われます.
要するに、『XX万歳!』となるような道筋を作った法令ということになるのでしょう.
よって、当時は仏教のほうが追いやられるようなことになり、廃寺や大事な仏像や仏具の廃棄など多くあったようです.
ただ、平成の現代、四国霊場のお寺の近くにある神社は衰退しているところも多く、明治時代とは逆になっているところも多いです.
一番面白いのが、79番の天皇寺でしょうか、名前から仕方がないのですが、お寺の山門がなく、神社の鳥居しかありません.
神社のサブとなることで生き残りを図ったのかな?そんな歴史を感じる配置になっています.
コメント
[…] なった神仏習合お社寺だったようです. >>参考記事 四国お遍路 やたら近くに神社が […]