高野山奥の院お墓シリーズ
高野山の奥の院にはたくさんのお墓があります.いったい戦国武将のお墓は本物なのでしょうか.有名人や有名企業など、たくさんのお墓の一部を紹介します.
この記事で分かること
・織田信長、豊臣秀吉、伊達政宗など奥の院に眠る戦国武将・有名人のお墓
・新明和工業、UCCコーヒー、ヤクルトなど企業墓の紹介
・奥の院に武将や企業のお墓が多い本当の理由(弥勒信仰との関係)
・織田信長、豊臣秀吉、伊達政宗など奥の院に眠る戦国武将・有名人のお墓
・新明和工業、UCCコーヒー、ヤクルトなど企業墓の紹介
・奥の院に武将や企業のお墓が多い本当の理由(弥勒信仰との関係)
| 戦国武将・著名人 | 織田信長/豊臣秀吉/伊達政宗/石田三成/市川團十郎/結城秀康/徳川頼宣 |
| 企業墓 | 新明和工業/アデランス/UCCコーヒー/ヤクルト/クボタ |
まずは入ってすぐ、神風特別攻撃隊の慰霊塔『あゝ同期の桜』があります.
たくさんのお墓があり、お墓の散策も一つの楽しみになっています.
おそらく由緒あるお家柄のお墓なんでしょう.
奥の院 歴史上の人物のお墓
紀州初代藩主 徳川頼宣
お墓じゃないですけど
松下幸之助さんが寄進されたものでしょうか.住所が記載されていますね.
伊達政宗
「独眼竜」の異名で知られる仙台藩初代藩主です.仏教への信仰が篤く、死後の安寧を願って高野山に供養塔が建てられました.

石田三成
豊臣政権の五奉行の一人で、関ヶ原の戦いで西軍の中心となった武将です.

市川團十郎
結城秀康
徳川家康の次男で、越前松平家(福井藩)の祖となった人物です.

織田信長
天下統一を目前にしながら本能寺の変で自刃した戦国時代を代表する武将です.供養塔は見落としやすい場所にあるので、探してみてください.

豊臣秀吉
信長の後を継ぎ、天下統一を果たした天下人です.現在の供養塔は1940年に建立されたもので、内部には秀吉の衣装束姿の木像が納められています.

企業のお墓もたくさんあります
高野山奥の院には、戦国武将だけでなく企業が建てた供養塔・慰霊碑も数多くあります.これは、弘法大師が56億7千万年後に弥勒菩薩とともに現れるという「弥勒信仰」にもとづき、大師のそばで物故者の霊を弔いたいという願いから、大名だけでなく企業にも広まった習わしです.
新明和工業
アデランス
UCCコーヒー
ヤクルト
クボタ
次回は、もう少し下調べしてから参拝したいと思います.
よくある質問(FAQ)
- Q. 高野山奥の院のお墓は本物ですか? → 多くは供養塔で、遺骨が実際に納められているとは限りません.弘法大師が56億7千万年後に弥勒菩薩とともに現れるという「弥勒信仰」にもとづき、大師のそばで弔われることを願って建てられたものが中心です.
- Q. なぜ企業のお墓(企業墓)が多いのですか? → 大名と同じ弥勒信仰の考えから、物故者を弔うための供養塔・慰霊碑を建てる習わしが企業にも広まったためです.
- Q. 奥の院の参道はどのくらいの距離がありますか? → 一の橋から御廟まで約2kmの参道沿いに、これらのお墓・供養塔が点在しています.
- Q. 織田信長のお墓は見つけやすいですか? → 意外と見落としやすい場所にあるので、参道を歩く際は注意して探してみてください.



















コメント
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